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男を濡らす「女」と共生するために、貴方が今何をすべきか

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2013.09.08

男にとって「女」とは何ものですか。なかなか手ごわい代物だとは言えましょう。人類の半分は女ですが、男として彼女らとどのように「共生」していくことが賢明であるか、たまにはじっくりと考えてみたいものですね。

母親は、生まれて最初に出会った女です。もちろん、自分をこの世に産んでくれた存在です。ある意味では「神」に近似していました。グレートマザーと言いますが、偉大なる母性に抱かれて、全ての男たちは聖母マリアの胸で甘えて泣くことを常に夢見たのです。母は包容力そのものであり、一切の許しの権化でもありました。

思春期

性というものに目覚めたあのころ、女はあこがれの的でした。自分にはないものを結集した、「不思議」のかたまりだったのです。謎でした。それゆえに底深い興味の対象だったことは確かです。未知の代名詞でしたから、恋愛はそんな少年に人生の奥深さと、純粋な感動を教えてくれたものです。

運命の赤い糸が、男と女を結びつけます。一時は盲目になり、互いに求め合って理想の暮らしに飛び込みます。でもやがて熱は冷めます。子供ができ、安定した夫婦生活が続けば、お互いが空気のような存在になっていきます。必要ではあるがその存在が気にならなくなるのです。

男にとって、妻は、自宅に敷かれている畳だったり、心の中にある温かい座椅子だったりして、憩いを演出する大切なもの。無粋なオヤジの余暇にとっては、気散じのナビゲーターですし、全ての暮らしのツッカイ棒です。

女の子を育てると、男の女性観は深くなります。自分の娘だって「女」なのです。そして「子は親の鏡」なのです。つまり、父親は娘の目に映る自分を感じながら、自分の「男」を創造していきます。娘の視線が男を育ててくれます。息子だって同じですが、「人の子の親になる」ことで知る人生の意味と味わい、それは言わば子供からもらうプレゼントです。

女たち

知人の女性たちは、近い遠い親しい疎い、さまざまな関係における人生の伴侶です。言わば「男づくり」の調味料かもしれません。男の命に深く突き刺さってくる女もいます。淡い交際に涙ぐむ情緒一杯の女もいます。すれ違いざまに傷つけ合う関係もありますし、指一本触れぬまま生涯心に秘め合う相思相愛の関係もあるでしょう。

男たちは別の男と戦い、女に慰めを見出して、生活のエネルギーを女の蛇口から飲ませてもらっていると言えましょう。「女」は、男にない宝物を散りばめ、各種の喜びをもたらしてくれる派手な踊り子でもあります。

男と女の共生

男女の共生は、時として血みどろです。一面においてそれはライバル同士の死闘です。時に自滅させ他滅させる修羅場が男と女のドラマです。結婚生活は男女関係そのものが成長していく過程であり、けしかけ合い汚し合うリングでもあります。男は出っ張りであり、女はそれを呑みこむへっこみなのです。

年を取るにつれて相棒の存在感に親しみが増して、男たちはやっと悟るのです。「女は敵じゃなかった」と。

共生の意味

「男」の本質には、ある深刻な「欠落感」が巣食っています。その欠落感は、ただ「女」によってしか満たされることがありません。2チームなければプレイボールできないように、女がいなければ男はプレイボーイ?できないのです。

世間というものは「勝ちと負け」で成り立っているものですが、男女はそうではありません。たとえ女をひれ伏させたとしても、勝ったのは男ではないのです。女は自分が負けて男を勝たせることによって、勝っているとも言えます。いえ、そうではなくて、形の勝ち負けではない心の世界において、男女は根源的に「共生」しているのです。

男が魚だとしたら、女は海です。イルカになって格好よく飛び回ったとしても、海がなかったらどうしようもないのがイルカです。そう言えば「海」という漢字の中には、ちゃんと「母」がいるじゃありませんか。

男の心を濡らすもの

愛にも諸相があります。夫婦というものは、長く共に暮らしていると、「愛なんかなくていいから、傍にいてほしい」と言うようになります。意外にも、そういう愛が本物なのです。

恋愛詩など軽蔑すると言っていた中原中也が、あるとき「恋愛詩しか作れなくなった」という詩を詠んでいました。心が濡れていなければ詩は生まれません。「男」の心を濡らすものは、恋であり愛であり、「女」です。女と共生しないで、なんの人生でしょうか!

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