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愛を出し惜しみすることで人生の方向性が分からなくなる理由

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2013.08.28

愛と聞くとどんな気持ちが湧いてくるでしょうか。ニュースや雑誌でもあまり出てこないキーワードなので、愛と聞くだけで胡散臭いと感じる人もいるかもしれません。ここでは愛とは自分がやってあげたいこと、自由にやってあげられることを言うとして、その逆は恐怖、やらないといけないことや役割を感じていることです。

自分の行動は愛からやっているのか、恐怖からやっているのかを知るだけでもなぜその仕事や勉強がやりたくないのか、もしくはやりたいのかが分かると思います。夢中になって出来ることに役割を感じたりやらないと嫌なことが起こるという恐怖もなく、ただ自由にやりたいからやることで夢中になれると思います。

やりたいことが役割で分からなくなる?

たとえば字を書くのが好きで書道が夢中になれる人でも、「後3枚で良いものを書いてください」と言われたら、自由に書けない役割を感じるかもしれません。バレーボールが好きで、ただみんなとわいわいやっているのが楽しいのに、「次は絶対にキメろよ!」とプレッシャーをかけられたら、それも役割を感じて楽しめなくなるかもしれません。

そうしたプレッシャーによる恐怖や役割によって本当はやりたいことなのにやりたくないように感じるのはもったいないことです。それは他人のせいにするよりも自分で責任を持ち、いかに自分がそれを自由に愛情を持って出来る環境、人、状態を築いていくかが大切だと思います。

人生を生きる意味は生まれた時に自分の説明書のようなものはセットになっていないので明確には分かりませんが、ただ夢中になって充実感を感じ、情熱を持って楽しめることをしていると自分らしい人生と感じると思います。

また、そもそもやりたいことが分からない人ややりたいことをしてはいけないと思っている人もいると思いますが、そうして愛を出し惜しみしていると夢中になれる感覚が出てこないかもしれません。

自分の愛は大したことがない?

周りの人は自分の鏡だという話があるように、自分に愛を出し惜しみしている人が他人に愛をいっぱい出すのも無理があるようです。ですが、人間である限り全ての人が愛を持っていますが、生まれてくる環境によって「自分には大したことがない」とか「自分が愛を出したら迷惑がかかる」など、無価値感や罪悪感を覚えるようになる人もいます。

無価値感がある人は、本当に自分がやりたいことよりも周りから認められること、自分には価値があると認められることを優先するかもしれません。すると、

それによってビジネスやお金、何らかの分野で成功して周りから価値がある人だと認められても、そもそも自分には価値がないからそうしているのであれば、結局自分で自分には価値がないとずっと思っていることになります。

自分で自分に価値がないと思い続けていると、一時的に周りから認められて価値があると感じても、自分を認めていない以上その無価値感によって価値ある自分になる行動を続けるようになるかもしれません。すると、いつまでも認められなくても幸せで自分らしいと感じる活動をスタートすることが出来ず、周りの人の軸が自分の軸になっている感じになります。

罪悪感がある人は、本当に自分のやりたいことをやると周りに申し訳ない、迷惑をかけると思っていれば自分らしい人生をスタート出来ないかもしれません。たとえば親が自分のやりたいことをせずに常に働いて動き回っている人であれば、自分だけやりたいことをやるなんて申し訳ないと感じているかもしれません。

ですが、やりたくないことを仕事にしている人とやりたいことを仕事にしている人ならどちらが大きな結果、業績、昇進などして、さらに自分らしい人生を生きているといえるでしょうか。

どんな自分も愛する

ここで、「自分は罪悪感を覚えているからだめなんだ」と思うより、そうして愛を出し惜しみしてまで他人を思いやることが出来る優しい人間なんだと自分を見ることも出来ます。

無価値感があっても、周りに認められることを無理にやらなくても自分には価値があるじゃないかと自分で認めてあげることも出来ます。そうしてどんな自分でも愛することが出来る自由を心で感じることが出来たら、自由に次の自分の進む道を選ぶことも出来るでしょう。

そうした気持ちに突き動かされているうちは自由よりも役割で行動しているので、いくら結果を出しても役割というレールから外れることはありません。たとえ他人が認めてくれなくても自分で自分をしっかり認めることが出来れば、周りに振り回されることも少なくなるでしょう。

どれだけ周りから認められることをしても、それはある特定の人だけなので一時的な安心感を得て、また批判する人がいたらその人に合わせて自分らしくない自分を作り上げるかもしれません。そうしたゲームの中で生きるのか、自分らしい人生を生きるのか、どちらも選択出来る自由もあります。

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