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愛されるよりも愛す生き方が出来るようになる思考法

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2013.08.02

愛・平和・思いやり・優しさ・・・わたしが理想とする世界は争いのないこういった夢の世界です。わたしも若い頃は女の子に好かれたいとか、人から愛されたいと思っていた事はありましたし、いつも何か足りない心を持っていました。

そして人と付き合う事でそれを紛らわそうとしたり、恋人に愛される事でそれを誤摩化したり、両親や友人達の称賛で自分の価値をはかろうとしたり。しかしいっこうに満たされる事はありませんでした。

なぜなら、人間の欲求というのは際限がなく、どれだけ愛されても、どれだけ評価されても、「もっと欲しい・もっと欲しい」とどんどんその欲求が大きくなっていくだけで、永久に満たされる事はありません。つまりわたしは愛される事で満たされると誤解していたのです。

なので今回はわたくしが、愛す事で満たされる方法をお教えしましょう。今回は恋愛や人への愛というよりは、自分が社会に与えられるもの=愛と定義し、その愛し方についてお話しします。愛されるより愛したいと思っている方も必見です。どうぞ最後までお付き合いください。それでは始めます。

1:求めるより与える

成功している人間、偉大と評されるすべての人間に共通して言えるのは、まずは与えているという事です。社会的に価値のある行為をこの世に与え、結果としてリターンを得る。それが成功という形であらわれただけです。すべての基本や根底理念はここにあります。

たとえば商売でもそうです。価値のある商品をお客さんに与えて、お客さんがその対価として見合うだけの額を支払う。そしてその商品価値が値段以上のものだとお客さんが感じたら満足し、リピーターとなる。このお店からまた買いたい、また満足したいという人間の自然な感情です。

逆に支払った値段以下だと感じたらお客さんはどうでしょう。不良品などが良い例ですが、お客さんは不満を抱き、その商品を送ったお店に対し不信感を感じ、それが怒りに変わってしまいます。なので与え方を間違わないようにしないといけません。ではどうすればいいのか?

相手が求めているもの・社会に求められているものを与える事です。自分はこう思う、自分はそれがやりたいんだ!ではなく、どんなものを社会が必要としているかという事なんですね。自分の意見を押し殺すとかそういう話ではなく、自分発信のアイデアでどれだけ社会を満たせるかという事なんです。

その手段はなんだって構いません。どんな職業だって構いません。野球選手であれ、サラリーマンであれ、自営業であれ、少しの時間でもいいから誰かを幸せにする事が出来れば、それは社会へ貢献している事になります。日々の生活に慣れてしまい、お金や自分の利益だけに目がいってしまい、与える事の真の意味を忘れていると相手は離れて行きます。

それは与えるのではなく相手から奪おうとしているからです。人は自分に不利益を生むものを避ける傾向があります。なのでそれで一時的には稼げたり、社会に価値を与えたり、成功してる風に見えたとしても結果として破綻する形になります。人を愛するというのはまず、自分の中にあるもの、自分が持っているもので、世に与えられるものを与えるという事なのです。

2:与えられる

与えると何かしらのフィードバックが返ってきます。つまり、与えた事の反応です。相手がそれで満たされれば良い反応が返ってきますし、悪い反応が返ってくれば望ましくなかったという事です。何も返ってこなければ、理由はなんであれ何も返ってこないようなものを与えたとなります。

仮に100人に与えて1人だけ満たせれば、わたしはそれで良いと思っています。もちろん、改善点があり改善出来るのであれば、その人数を1人、2人と増やして行く事はとても良い事ですし、そこを目指すべきです。

しかし、仮にゼロ人だったとしても、1000人に与えたら1人は満たされる人がいるかもしれませんし、1万人に与えたら、極論、満たされる人が9000人になる可能性もゼロではありません。

わたしが言いたいのは、人や社会を自分の力で満たしたい・貢献したいという気持ちはとても大事なのですが、評価に左右されてはいけないという事です。他者の評価というのは複合的な要素で形成されており、それが事実かどうかなど知る術はありません。

なので、相手が指摘した改善点で、自分が賛成した点だけを直していく。クレームではなく助言ととる。この思考が社会に価値を与える思考なんです。愛を与えられる事は悪い事ではありません。むしろとても良い行為です。ただ、人の気持ちや心というのは常に変動し、いろんな状況でコロコロ変わってしまいます。

なので与えられる(愛される)事にフォーカスしていると、ぐらぐらと不安定になり、自分の軸までなくなってしまいます。今回は100人中ひとり喜んでくれた。今回は二人も喜んでくれた。次はひとり喜んでくれた。コレでいいんです。全員を満たす事など誰にも出来ませんし、多ければ良いとか少なければだめだとかいう事でもありません。

自分が出来る精一杯の愛を与えて感謝してくれる人がいれば、それ以上は求めないでいいとわたしは思います。

この記事もこれを読んでくれた人がひとりでも何か影響を受け、その人の人生が好転するきっかけになればいいかなと思って書いていますが、どれだけすばらしい記事を書いても読者すべてに評価される事などありえないし、ひとりでも良いから、何かのきっかけになれば、わたしはコレを書いている意味があるわけです。

与えられる結果を求める事を手放しましょう。満たされる人がいれば幸せになり、いなくても別にいいんです。責める必要も落ち込む必要もありません。この与えると与えられるというバランスをうまい具合に保てると、心の物足りなさというのはいつの間にか忘れていたりします。どうぞ幸せな人生を^^

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