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愛はお返しを期待せずにあげるものと考えてみましょう

愛が憎悪に変わるのは愛の深さが原因ばかりではない?

愛といっても、有形無形を含めいろんな様相がありますが、人間関係に関する愛は時として憎悪にも変わるという事があったりします。愛するがあまりという場合もありますが、見返りを求めてその見返りが十分ではなかったからという場合もあります。

こんな別れ話の現場を見た事はありませんか?

よく愛してると口にする人がいますが、果たしてその愛は見返りを望んでいないでしょうか?僕も君を愛するから、君も僕を愛してねというのなら、それは見返りを求めたものになるでしょう。これもしてあげたし、あれもしてあげたとか、別れる際に相手に言う男性や女性を見た事はありませんか?

私は、あるショットバーの常連でそういった男性を見た事があります。彼女と別れたとかで、マスターにあれも買ってあげたのにとか、これも買ってやったのにとかグチグチと愚痴をこぼしていました。そして、終いには別れた女性に電話をして、買ってあげた物を返せ~と言っていました。

よくもそこまで成り下がれるな~と思いましたが、その男性が帰った後にマスターも「あれはないよね~」と苦笑いをしていました。

その愛は純粋な愛情ですか?それとも・・・

好きだからこそ、相手も自分の事を同じかそれ以上に愛して欲しいという気持ちもあるでしょう。しかし、恋愛以外でも相手に過剰な期待や見返りを求めるからこそ、得られなかった場合に己を見失うぐらいに相手を憎く思ってしまうのかもしれませんね。

これだけ与えるのだから、君からはこれと同じかそれ以上もらわないとというのは、愛の気持ちもあるのかもしれませんが限りなく打算に近いのかもしれません。なので、まるで契約を反故にされたビジネスマンのように怒り狂うのかもしれません。

見返りを求めないほうがいい理由とは?

なので、どうせなら愛するという事に見返りを求めないように思ってみましょう。完璧には無理でも、なるべく近づくようにすればいいのです。これは、彼女や奥さんに対してだけではなく、その他の人に対しての思いやりにしても同じように考えてみましょう。

見返りは何も期待せずに、あげっ放しという事です。だったらもう何もしないという人は、何もしないほうが他の人にとってそのほうが無難かもしれません。無償の愛や思いやりというものは、何も返って来ないとしてもあなたの心が豊かになる事は間違いありません。

ちなみに、先程の話の中に出てきたショットバーで会った人は、何日か経ってから電車が通る陸橋の下で「姫~っ」と大声で叫んでいました・・・相手を姫と呼んでいたという事は、自分の事を王子とでも呼ばせていたのかな~と思いながら、とんだ王子もいたもんだと思ったものです。

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