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何かで成功する秘訣は、その道のスペシャリストになること!~前編~

成功した人は、何かのスペシャリストです。そして何かのスペシャリストになるには、決まった方法が無く、自分の才能も、若くして進路を見つけた人は目的を持って進む事もできますが、自分の才能に気付かなくても、目の前の物を一歩一歩クリアしていけば、経験と知識から何か目の前が開ける事もあるのです。

取り敢えず、何かを見つけるために何でもいいから一つの事を続けてみましょう。試練を乗り越えないと道は開けません。

自分の夢を見つけるためには?

幼い頃からぶれずに将来の夢が決まっているほど強い思いを抱く事ができる人がいないわけではありませんが、多くの場合幼少期の夢は成長するとともに変わっていくものです。

それもそのはず、運命でもない限り、子供の世界は成長するにつれて広がっていくものなのです。狭い世界で見つけた夢より広い世界を知って成長した心や頭脳で抱く夢の方が大きな夢の可能性が高いからです。

だから、高校時代の受験準備の時期に進路の方向性が決まります。でも、ここで将来何になるかまだ漠然として分からない人は、取り敢えずできる事を一歩進んでみると良いのだと私は思います。

ところで、あなたは「運命」というものを信じますか?私はよく分からないのですが、科学では証明できない未知なる力が他人の人生には働いているような気もします。その方が何だかロマンチックではないでしょうか。

究極、「自分が何故生まれてきたのか?」なんて事は、死ぬまでにわかったら良いのではないかと私は思っています。あの世に逝く寸前に、「楽しかったなぁ~ありがとう!」と思わず妻や家族に心から語れるような人生なら御の字だと思っています。だから、そんな人生の終わりを迎えられるような人生が送れるように頑張って生きているつもりです。

「運命は切り開くもの」と言われているように、切り開いてずんずん進んでいかないと運命は開かないのですから、今自分の目の前にまだ運命が開けていないのかもしれません。運命の扉がまだ余計な物で埋もれて見えていないかもしれないのです。

その運命の扉を探すために人生を切り開いていかなければならないのです。ようするに、運命の扉が幼少期に見つかる人もいれば、夢を見つけるためにまず運命の扉を探しながら運命を切り開かなければならない人もいるのです。

運命は、切り開いて行くものですが、運命に導かれる事もあると私は思っています。神様は運命を切り開くために試練を与えているのです。そして神様は乗り越えられる試練しか与えないのだそうですよ。

だから、取り敢えず神様に与えられた試練を乗り越えて見てはどうでしょう。そして、目の前のできる事からクリアしていってはどうでしょう。分からないのなら、取り敢えず進んでみるのです。自分にあった進路かどうかなんて、体験してみないと分かりません。

でも、やってみて困難な道だから自分には合わないと判断するのではダメです。富士登山も頂上の素晴らしい景色や御来光を眺め達成感を味わうには、困難な道のりを登りきらないといけません。途中諦めたら全ての努力が水の泡なのです。そして登ったら下りなければなりません。下りもまた大変です。

富士山の頂上での御来光を眺めるのを夢を叶えた事としましょう。夢を見つけてもまだ5合目なのです。途中挫折しそうになっても、同じ登山者の励ましや頂上からの励ましも力になります。この励ましや応援をどうとらえるかも本人次第です。夢を見つけるか、夢を叶えるかどうかは、本人次第なのです。

試練はどこまで?

さて、神様は乗り越えられない試練は与えないと言われています。でも、いったいどこまでが試練なのでしょう。試練なのか無駄な努力なのか、どこで判断すればいいのでしょう。しかし、人生無駄な事なんて無いのです。その無駄な所にも学ぶ事があるのです。それを無駄にするかしないかはあなた次第なのです。

さて、どこまで試練なのかは、あなたが決める事なのです。試練は人生前に1歩進んで初めて乗り越えたというのです。つまり、試練は神様が与えてくれた人生の道標なのですよ。何も見つけられなかったらあなたは試練に負けた事になるのです。

視野が広くなるだけでも良いのです。ですから、人生何も学ばないうちは取り敢えず続けてみる事です。1歩1歩進んでいけば道がなだらかになったり、突然頂上に出て世界が開けてきたりするはずです。

だから、何かを得るまで試練は続くのです。途中いくらきつくても何も得ないまま諦めるのは自分に負けた事になるのです。富士山登山に例えるなら、8合目前に山を下る事になるのです。

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