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あなたはどう考えますか?リビング・ウィルの意味とその問題点~後編~

「平穏死」を唱える石飛医師の著書を読んで

今、「口から食べられなくなったらどうしますか 『平穏死』のすすめ(石飛幸三著)」が話題を呼んでいます。医師の延命至上主義や、延命処置としての医師側の常識とする点滴の栄養補給の量についても、却って患者への苦痛を増加させるだけのものになっているのが現状だと石飛医師は述べています。

どのような医師に最期を看取ってもらうかも運命を決めるものとなるのかもしれません。石飛医師は、人生の最終章を迎えたとき、「幸せは名誉や富だけでは決まらない」「人の幸せは、精一杯生きて心安らかに最期を迎える事」だと著書の中で述べています。平穏死を迎えるのは、石飛医師のような患者の気持ちに寄り添ってくれる医師との出会いも必要です。

この出会いも人生の幸運の一つでしょう。でも、まだまだ石飛医師のような考え方の医師は少ないそうです。そんな時、患者本人や患者の家族がこの本に出会って「平穏死」について詳しく知る事も運命の別れ道の幸運となるでしょう。

医師の勧める治療が本当に患者本人の望むものなのか、医師が勧める治療方針を必死に勉強してでも充分に理解しようとする家族がいる事、患者の家族が患者の気持ちを主治医に訴えてくれるという事も幸運の一つでしょう。この幸運は自分の今までの生きざまによって得られるものかもしれません。

「無知は罪」という言葉があります。「英知無きものは社会に役立たずその生きざまこそが罪」という意味です。石飛医師の著書の本筋から少しずれますが、人の生死は神の領域だと私は思っています。祖父の教えですが、「天寿を全うし家族に見守られながらポックリ死ねる(平穏死)か、苦しみ抜いて死ぬかは、人生の生きざまによって決まる」のだそうです。

だったら、精一杯真面目に誠実に生きて、「平穏死」ができるかどうか神様に委ねるのも良いかもしれないと思いました。石飛医師の著書を読んだからこそそう思います。自分が平穏死にふさわしい人生を送ってきたのなら、神様が平穏死へと導いてくれると思うのです。

石飛医師の著書で平穏死を知ったからこそ、このように思う自分がいます。運命を受け入れるのも天寿全うです。自分のことより周りの幸せを考えていたら、周りが自分を幸せに導いてくれるのではないかとも思いました。

平穏死を受け入れる資格になる人間になりたいと思います。石飛医師の著書を読んで「平穏死」について知ったからこそ人生を振り返り、しみじみ思いました。

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