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忙しくて無価値感を埋めたい衝動に振り回される人共通点

あなたはなんとなく忙しく生活していませんか?もし、それをやることが幸せを感じたり情熱を持って夢中になれることじゃなく、それをやることで効率を満たしたり周りから良く見られるという意識でやっているなら、自分の中にある「無価値感を満たしたい」という気持ちに振り回されているかもしれません。

無価値感を埋めたくなる衝動

どんな人でも無価値感を感じることがあると思います。ですが、それに対する反応の仕方は人それぞれ違い、無価値感を感じたから忙しく動き回る人もいれば、それを感じて逆に動けなくなる人もいます。「自分には価値がない」と感じて落ち込む人もいるでしょう。それによって鬱のような状態になる人もいるかもしれません。

自分の感情は手の届く範囲ではバランスが取れますが、人によっては許容範囲外に行ってしまうとバランスが取れなくなることもあります。過剰に責任を負ってしまったり、周りの人から見て自慢していると思われることや必要以上に落ち込むこと、または全く責任放棄をすることなど、どれも感情のバランスを欠いている状態かもしれません。

そのうちの1つが無価値感を埋めたくなる衝動に駆られて行動することで、それによって自分にとって実はどうでも良い活動に時間を使い続けることにもなりかねません。

特に時間の効率ばかり気にしすぎて少しでも遅れるとイライラするタイプの人は、そもそもなぜそこまで効率を意識しないといけなくなったのかを考えてみるといいかもしれません。

効率を満たすことで得られるコントロール欲や無価値感を埋める欲には限りがないばかりか、そこから心の平安や幸せといった気持ちを得ることは難しいようです。逆に非効率で人と楽しく過ごしたり、恋人とゆったり過ごすことで幸せな気持ちを得ることができるようです。

それをやることは自分にとって大切か?

人は自分のやることを上手いように正当化出来ますし、それがマイナスな出来事をプラスに捉えてバランスを取ることにも使えるのですが、無価値感を埋める衝動が正しいように正当化すると、自分にとって本当に大切なものが分からなくなるかもしれません。

人によっては恋人と素敵な時間を過ごすことが幸せを感じることかもしれないのに、それはとても時間がもったいなくて出来ない、もしくは出来たとしても何時まで過ごすという時間制限を作って恋人と過ごす時間は、効率が根底にあるので人間的な感情を感じ尽くすことができるでしょうか?

いつも時間が気になってしょうがない人は、思い切って時間を忘れてしまうぐらい思い切った事をすると感情的なバランスが取れるかもしれません。

スポーツでも勝ちにこだわりすぎていてもパフォーマンスが発揮されないのと同じように、何かに固執していると感情的な力が発揮出来ないことがあります。逆に自分にとって大切なことなら、それをやっていることに幸せを感じるため、無価値感を埋めるために凄いと思われることをやる必要自体ないようです。

やりたいことをやっている時でも、それをもっと自分らしいサイズに成長させたいと思う健康的な不満が出てきた時は、それに従って行動することで夢中になれるでしょうし、変に固執することもないでしょう。

「お金がすぐに儲かる話がある」「すぐに痩せる話がある」そうした話は尽きませんが、それに振り回されて行動し続けていたら自分が本当は歌をやりたかった、研究をしたかった、芸術の道に進みたかったという人でもその道を忘れてしまうかもしれません。

大切なことから目をそらさない

また、無価値感や責任感を満たそうとすることで、自分にとって大切なことから目を背けるために使っている人もいます。「そんなことやってる暇はない」ということを言いながら、身の回りの掃除や世話ばかりに時間を使っている人もいるかもしれません。

もちろんそうした身の周りの世話をしてくれる人がいるお陰でやりたいことが出来ている人もいるかもしれませんが、そうした役割をやり続けることで本当の自分と向き合うことをしなくてもいいことにも使えます。それは、年齢や性別、経験の無さに信頼をしていないのか、純粋に怖いのか自分を認めたくないのか人によって様々な心の理由があると思います。

ですが、それはやりたいことをしている人にも出てくる気持ちなので、いつまでも目をそらしていても後から無価値感や空虚感が出てくることになります。それなら、少し怖くても思い切って自分の進みたい道に進んでみるのはどうでしょうか。

無価値感はとどまることを知らないので、どれだけお金の量を増やしても自分より持っている人を見るとその人に勝ちたいという気持ちが衝動となって行動を駆り立てることになります。

ですが、自分らしいビジネスや趣味は周りの人に勝つから幸せを感じるものではなく、それをするだけで幸せな気持ちを感じられることだと思います。それを探すことは人生の根本的な意味かもしれません。

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