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日本には空気のような宗教がある。神信心と上手に付き合うには

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2013.11.27

おじいちゃん、おばあちゃんの全国寺社巡りは恒例(高齢?)レクリエーションとして定番です。お札を集め、仏画を買い、宗派を問わず、神仏ごちゃまぜでも全然平気です。

自分が棺桶に近づいているという緊迫感からでしょうか、天国と地獄、極楽と奈落に目配りをし、観音や大仏にうっとりしている様は、何とも庶民的な宗教心の一表現です。その本質を考えてみましょう。

若者だって神は持ちたい

ひるがえって若者たちの様子を見れば、曲がりなりにも近代知の洗礼を受けたせいでしょうか、天国や地獄の図は余りに野放図でかび臭く思えて、信ずるに足りないと捉えているようです。やはり彼らにとっては「安らかに死ぬ」ことよりも、これから「どう生きるか」の方が大事なのでしょう。

とはいえ、若者とて何らかの宇宙観・生命観を持たずして、目先だけで生きていくことは寂しいものです。自分なりの「神」を持つことは誰にとっても必要なことです。

神は最高のエスパーなのか?

一部の若者はおおむね、宇宙に遍満する生命のもととなる物質、または物質ではない何か、それを想定して「気」とか「力」とかと称しています。

そのエネルギーを自由に操る者がエスパーであり、エスパーの内の最高能力者を「神」と呼んでいるようです。人は死後、記憶も個性も失って宇宙の気と一体になり、「無」に帰すのだと言います。

遊びと同居している宗教

スマホやアイフォンなどのコンピュータゲームでは、バーチャルな宇宙を自由勝手にでっち上げて、ありとあらゆる奇怪な現象を刺激的な映像で見せつけて遊んでいます。あれは現代の若い世代の天国でもあり、地獄でもあると言えましょう。

IT用語に交じって密教用語が飛び出したり、物理学用語の隣に般若心経が並んでいたり、日常と超常がことわりもなく同居する観念世界が、若者の宗教世界の一面であります。

神にご利益を求めすぎてはいけない

一方で、「ご利益宗教」もある種の人々の間では猛威を振るっております。これを信じれば「病気が治る、財産が増える、夢がかなう」と提唱し、逆に入信しなければ「病気になる、破産する、不幸が襲ってくる」などと言って、脅迫的勧誘をしているそうです。良識を持った大人がコロリとだまされて入信してしまい、抜けるに抜けられなくなっているという話をよく聞きます。

人の心は弱いものです。うまい話にはすぐよろめきます。傷だらけなのが普通の人生です。悔いもいっぱいあるし、不安は山のようです。そこに付け込まれて、この神様なら莫大なご利益で「死んでも死なない」というような虚言に踊らされてしまいます。その結果、奉納金を大量にせしめられます。

神と自分自身に誓う――それが祈りの本質

それに比べたら、四国お遍路や百観音巡礼に精を出すお年寄りたちは純情なものです。神仏の前で合掌して願うことは何かと言えば、

「今日まで生きさせてもらってありがとう」
「これからも健康でいられますように」
「家族を見守ってやってください」
「私の犯してしまった過去の間違いをどうぞお許しください」

ということなのです。そして参拝とは、究極のところ「私は精一杯これからも頑張ります」と、神の前で誓うことなのです。さらに言えば、神に誓うということは、自分で自分に誓うということにほかなりません。

世の中には人の力の及ばぬ災害などがあります。それらからどうか私を守ってください、そうすれば私は自分なりに精一杯「よく生きる」努力をいたしますと、そう誓うことが祈りの本質です。

空気のような神信心

神仏習合の日本的宗教観とは、大自然を神として八百万の神を認め、唯一絶対の信心でなく相互に認め合う相対的な信仰を大切にするというものです。縄文時代の素朴な「かみ」信仰は、その後の歴史の中であらゆる渡来の神仏と共存してきました。空気のような信仰だと言えます。教祖も教団も教義もなく、布教すらほとんどありません。

国際社会を見回せば、国と国とが果てしない戦争を繰り返しています。その底辺に横たわっているのは、宗教の違いなのです。絶対の神を信じ、他の宗教を認めないという在り方に、人類の未来が果たしてあるのでしょうか?

柔らかい信仰を持ちたい

宗教とは何でしょうか。本来、人類の愛と平和を守るためにあるものが、神への信仰というものでしょう。それなのに現実は、宗教が自己の正義をかざし相手の信仰を全否定して、とどまることのない紛争を惹起しています。

わが国においては聖徳太子が「和を以て貴しと為す」と言って以来、争わないこと、言挙げしないこと、何事にも中庸を取って和を図ることを、庶民が生活信条として暮らしてきました。和の精神で貫かれた宗教心、それこそが人々を救う柔らかい宗教の在り方につながるものではないかと、つくづく思う今日このごろです。

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