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我慢するだけが正解ではない!「苦労は報われる」を信じ続ける事の罠!

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2013.12.22

「苦労は報われる」という格言があります。根性とか努力とか、そういったものを特別に美化する傾向のある日本人がとても大好きな格言です。私も日本人ですから、根性とか努力といった要素は大好きですし、そういった事を実践できなくては、人生には成功はないと思っています。

ただし、他の人がどのように考えているかはわかりませんが、私はこの「苦労は報われる」という事に関して、ちょっと「危険だな」という思いを持つ事があるのです。

苦労は報われて当然ですし、報われない苦労なんてないものだと信じたいのですが、捉え方を間違えると、人生の貴重な時間を無駄にしてしまう事もある。努力の方向性を見誤らない為にも、ぜひとも参考にして頂きたい事柄。今回はその内容を詳しくご紹介していきたいと思います。

本当に苦労だったの?

成功を収める為には、他人にはできないような努力をひたすら続けて行く、血反吐を吐いても目標に向けて邁進をしていく、という事が必要であるというイメージを皆さんも持たれるかもしれませんね。

でも、ここで一つの疑問を投げかけたいのです。このいかにも苦しそうな状況ですが、果たして当事者の本人は「本当に辛い」と感じていたのだろうか?という疑問です。

皆さんにも、おそらく「物凄く好きな事」というものがあるかと思います。楽器を奏でる事でも良いですし、車の運転でもOK。どんな人にも、程度の差こそあれ、「時間も忘れる位打ち込んでしまえるもの」というものがあるはずです。

ある人が雨の日も風の日もステージ立ち続けて、ある時ようやくその歌が世に認められた時がくると、周囲の人は決まって「苦労が報われたね!」「やっぱり諦めない事が大事だね!」という声をかけます。

でも、当の本人からすれば、寝ても覚めても歌っている事が何よりも好きだったわけですから、周囲は「苦労」と認定をしたがっても、本人からするとクエスチョンマーク。

地方のドサ回りや誰も居ないステージで歌う事の苦労はあったかもしれませんが、それを「苦労」と一括りしてしまうのは、あくまでも周囲が勝手に決めてしまっている事にすぎません。

「苦労は報われる」のは確かかもしれませんが、この例のように、その苦労というものが果たして本人にとっては本当に辛い事だったのかは本人にしかわからない事でもありますから、盲目的にこの格言を信じてしまって、苦労さえしてればいつかはかならず報われるという考え方は持たないようにした方が良いのではないかと私は考えています。

解釈を誤って柔軟な視点を失ってしまうと、努力の方向性を見誤るという危険性が出てきますので、十分に注意をして頂きたいと思います。

盲目的になりすぎない

今、自分が辛くて辛くて仕方がないのに続けている事があるならば、そしてもしそれが、「苦労は報われる」という言葉を盲目的に信じて続けているだけの事であるならば、少しだけでも良いと思いますので、「ちょっと待って冷静に分析してみる」ことも必要かもしれません。

他者の成功事例を信じて自分で追体験をしたり、辛い事を辛いと思わないようにして努力をし続ける事はとても大切な事だと私も考えています。

でも、成功をした人は、周囲が「苦労」と思ってしまうような事でも、本人は「楽しい」と思って続けていただけで、だからこそ継続もできて、それが成功へとつながっていったのだという視点も持っておく事が大切だと思うのです。

「こんなに努力をしているんだから、続けていればいつかはかならず成功できるはずだ」と思いこむ事はとても大切な事ですが、その格言を盲目的に信じ込むばかりで、工夫をする努力を怠るようになってしまってもいけないと思います。

苦しい状況にいるならば、そこを脱する為にどういう事をやれば良いかを必死に考えるようにする。苦労は「成功への第一次試験にすぎない」という認識を持たないと、とても危ない事だと思えてしまいます。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という格言もありますが、ここでいう苦労は「経験を積め」という意味での苦労です。経験を積めば、苦労をした時に様々な工夫をする事や考える力が備わるようになってきます。

「苦労は報われる」ものならば、人生の誰もが成功者になっているはずですから、何事にも常に柔軟な目線を持ち、工夫してものを考えられるような人生を歩んで頂きたいと思います。

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