クラッシュ・ギャルズ大ブームを支えていたのはレフェリーだった!?
80年代に黄金時代を迎えたプロレス界
プロレス黄金時代と言われた1980年代。その80年代にもう一つ黄金時代を迎えていたプロレスがあった。女子プロレスである。その中心となったのが83年に結成されたライオネス飛鳥と長与千種によるタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」だった。
翌84年にクラッシュは大ブレイクし、彼女らに憧れる少女ファンを魅了した。それどころか、それまで女子プロレスを馬鹿にしていた男性ファンをも取り込み、社会現象となったほどだ。
プロレスというのは、基本的にはベビーフェイス(善玉)とヒール(悪役)の対決で成り立っている。日本では力道山時代から、ベビーフェイスの日本人レスラーと、ヒールの外人レスラーの対決という構図だった。
ところが、80年代の男子プロレスではこの構図が崩れてきた。特に新日本プロレスでは長州力が同年代の藤波辰巳(現・辰爾)に対し「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」と反旗を翻し、日本人対決がスタートしたのだ。
それまでの日本人対決といえば、リーグ戦で戦うとか、ヒールの日本人レスラーと戦うとかで、それ以外ではどちらかというとタブー視されていた。だが、その掟を破ったベビーフェイス同士の長州と藤波の抗争は大ブームを巻き起こしたのだ。もはや日本のプロレスではベビーフェイスとかヒールとかいう考え方がナンセンス、とさえ言われていた。
クラッシュ・ブームに火を点けたダンプ松本
しかし、全日本女子プロレス(全女)ではあくまでもベビーフェイス×ヒールの抗争にこだわった。と言っても日本人×外人ではなく、悪役は日本人である。そして最強の悪役として抜擢されたのがダンプ松本だった。ダンプ松本は極悪同盟を結成し、クラッシュのライバルとなった。
スマートで可愛く、技が切れるクラッシュに対し、ダンプ松本は女性にしては立派な体格―「デブ」というのに気を遣うと、こういう表現になるのだが―によるパワーで圧倒し、さらに凶器を使って反則をしまくるという見事な悪役ぶりだった。もしダンプ松本の存在がなければ、あれほどまでのクラッシュ・ブームは起きなかっただろう。
悪の限りを尽くすダンプ松本に対し、少女ファンたちは本気で憎悪した。会場で罵声を浴びせるのはもちろんのこと、カミソリ入りの手紙がダンプ松本の元に送られてくるのは日常茶飯事だったという。当時のプロレス・ファンはモラルが欠如していたというか、要するに単純だったのだ。だがダンプ松本はそれを勲章だと思っていたというから、まさしくヒールの鑑である。
極悪レフェリー大活躍!
だが、ダンプ松本以上に嫌われている者がいた。それはレスラーではない。なんと公明正大たるレフェリーの阿部四郎である。阿部四郎のレフェリングはもうメチャクチャ。ことごとくダンプ松本ら極悪同盟の味方をしてしまう。
極悪同盟がいくら反則しようが、凶器を使おうが見て見ぬふり。クラッシュの抗議で渋々凶器を取り上げるものの、その凶器を極悪同盟のセコンドに渡すのだから、凶器を取り上げる意味がない。
極悪同盟が押さえ込まれても「ワーン、ツーウ、ス……」とナメクジのようにゆっくりカウントするし、逆にクラッシュが押さえ込まれると「ワンツスリ!」と目にも止まらぬ速さでピンフォールにしてしまう。
プロ野球の日本シリーズで、南海ホークスのジョー・スタンカが投じた一球をボールと判定した円城寺満球審に対し「円城寺 あれがボールか 秋の空」とある南海ファンが詠んだというが(詠み人知らず)、クラッシュ信者は「阿部四郎 あれがフォールか 後楽園」と詠んだだろう。
テレビ中継でゲスト出演していた女性アイドルが「なんであんな不公平が許されるんですか!?」と憤慨し、実況の志生野温夫アナは「どんどん言っていいんですからね」と阿部四郎批判を促していた。もっとも、阿部四郎と志生野アナは、私生活では仲が良かったそうだが。
そもそも、こんな不公平な判定をしていたら、普通のスポーツなら審判資格を取り上げられているだろう。男子プロレスでも、レフェリーがベビーフェイス側の抗議に気を取られている隙に、反対コーナーではヒール側が反則を繰り返すというテクニックがあるが、阿部四郎ほどあからさまなエコヒイキはしなかった。
それでも、阿部四郎のおかげで「クラッシュがかわいそう」と人気が集中し、極悪同盟に対する憎悪がより深まったので、ファンはさらにエキサイトしたと言える。まさしく阿部四郎こそクラッシュ・ブーム最大の功労者と言っても過言ではない。
普通、レフェリーといえば黒子のような存在だが、阿部四郎は主役級の存在感を放ったのだ。本当はレフェリーが目立ってはいけないのだが、阿部四郎は自身が目立ちながらもクラッシュ・ギャルズと極悪同盟を見事に引き立てていた。これは阿部四郎しか出し得ない、見事な才能だったと言えよう。