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自分だけの”キャラ日記”で己の心を練り上げるコツ!

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2013.07.03

日記の書き方にもいろいろある。自分でキャラを設定して自由に書く日記の楽しさを紹介しよう。

何のために、日記を書いてんの?

日記を何らかの体裁で書いている人はいっぱいいるでしょう。多くの人は、単なる備忘録として、ごく簡単に事実だけをメモしているかもしれません。でも中には、文字で何かを記録することがたまらなく好きで、楽しくてどんどん止めどなく書き綴っている人もいるでしょう。

あるいは「考える」ことと「書くこと」は非常によく似た行為ですから、書くことを介して自分なりの思索を楽しむ男女も少なくありません。年配の人の場合は、一日を整理し、頭を整頓し、それによってうっかりミスを予防して、ボケ防止に役立てています。

あるいは日記の中に写真やイラストをレイアウトして、一種の創作を楽しむこともできますし、日記の中に詩や歌を詠み込んで本格的な創作をしている例もあります。

働き盛りの男性サラリーマンと言えば、会社で作業日誌を書いているだけで満足しているケースも多いけれども、これから「一味違う日記」のつけ方をご紹介します。参考にして下さい。

キャラ日記って、なに?

例えば「なりすましキャラ」で書く日記というのもあります。自分が誰かになったつもりで書く日記です。会社の誰かでもいいし、知っているスターやスポーツマンでもいい。その人になりきって、世の中のことや身の回りのことを自由に論じる。そうすると、意外にも、違った立場やで物が見えて、新たな発見があるものです。

そんなことできねえよ、と言う人は、まず「自分を二分」してみます。もう一人の自分を設定するのです。そしてその別の自分とこっち側の自分とで対話させます。これはすぐにできるはずです。そしてこれこそは、ソクラテスのダイアローグの原型ですが、自己との対話のスタートになるはずです。

あらゆる論理は「正・反・合」の螺旋状に深化していくというのは「弁証法」の説明ですが、それを個人の内面で実践するのがこの方法です。ある課題があったら、それに賛成する立場の自分と、反対する立場の自分とを設定し、2人に議論させます。

ディベートです。両方の立場から徹底的に議論をさせれば、混沌としていた頭脳の中が不思議とすっきりしていきます。迷った時にはこれをして、思索を深めることが大変有効です。

架空の誰かとダイアローグ(対話)する楽しさ

自己を二分しただけでは、まだキャラ日記とは言えません。二分した「もう一人の自分」に名前をつけましょう。例えば、既に死んでしまった知人。すると不思議や不思議、あの世にいるはずのその知人が日記の中に立ち上がります。そしてあなたに向かってしゃべり出します。昔の口調で、遠慮なく、彼の言いそうな意見をすらすらと話してくれます。

あるいは、尊敬している先生とだって、いつでもディスカッションが可能になります。あの偉そうな口調で、意味深長なセリフを、上から目線で説教してくれるかもしれませんし、意外にも君を支持して賛同してくれるかもしれない。そうなれば自信を持って、人生に結論が出せるでしょう。

君の尊敬し憧れて止まない歴史上の人物。それとだってじっくり対話できるのが、キャラ日記の素晴らしさです。信長だって、秀吉だって、西郷だって、誰だって君がコールすればすぐ目の前に登場して、君の打ち明け話を懇切に聞いてくれ、アドバイスをしてくれるはずですよ。しかもコンサル料はただだもの、実にリーズナブルじゃないですか。

最高のキャラは、やっぱりこれだよ

とっておきの「キャラ日記」を教えちゃうことにしましょうか。

それはね、君の初恋の人をキャラにして呼び出すのです。いいかい、私の場合はこうしているんですよ。寂しい時、悔しい時、迷った時、嬉しい時――さまざまな時にふと思い出して、パソコン日記で彼女の名前を呼ぶ。すると「はあい」と可愛い声で返事して、私の目の前に兎のようにピョンと登場してくる。驚くことに彼女は、まだ10代のままなんだぜ。

だけど私の人生に付き添ってきた女であるからして、当然私のことは全て知っているのだ。よって、いかなる私の愚問にも、ひねくれた言葉かけにも、実に素直に的確に対応してくれて、正に私の観音様そのもの。

あるときは励ましてくれ、あるときは叱ってくれ、またあるときは慈母のまなざしで慰めてくれますよ。無論彼女は私自身の分身だから、実在の女性とは無関係だし、妻とも関係のない別人だよ。だけどその存在感は、私にとってかなりリアリティーがある。それというのも、数十年間、心で連れ添ってきた仲だからですね。

本当に悲しい時、私は、恥ずかしいが彼女と抱き合って泣いたものです。

それは魂の日記でしょう

書棚に並んだ古い日記。パソコンデータをプリントしたものが、数千枚に及んでいます。これは誰にも見せられるものでない。私が命を仕舞い込むとき、必ずこの日記と一緒に棺に入れてもらう。あるいは、自分で燃やしてしまえたら、そうしたい。

これには数千句の俳句も掲載されています。その折その折の魂の弾みが詠み込まれています。私とパソコンとの出会いは、こうした日記との出会いでもありました。日記の言葉に命を畳み込んで、一日一日を私らしく生きていくことさえできたら、私の願いはもうそれだけで十分に満たされている、と言えそうです。

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