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自分のカルマを把握して、生き方の本質をつかむとどうなるか

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2013.08.28

「時間」というパラドックスと向き合える大人は、感性に幅と深みを持つことができます。「時が流れる」と言いますが、実は流れているのは「自分」であって、「時」というモノは流れてなどいないのです。そこに気づくことから、人生の深淵が見え始めるでしょう。

人の過去には2種類ある

カルマという言葉は、「業(ごう)」と訳されています。前世の因縁とか、悪業・罪業とかいう表現もあり、そもそも輪廻転生とか前世とかを信じない日本人にとっては、あまり実感の伴わない観念かもしれません。でも少し視点を変えてみると、カルマは面白い概念だと言えます。

人の過去には2種類あります。一つは、この世に生まれてから生きてきた数十年の過去、これです。もう一つは、誕生する前の計り知れない時間の中で、存在していたはずの「自分の種」の経てきた過去、これです。

生物学的に見ても、1人の人間のDNAは、両親が生まれるずっと以前、何億年も前からこの世に存在していたはずです。それが複雑に組み合わさって、現在の自分があるのです。

本能という名のカルマ

カルマとは「自分の2種類の過去の総体」を言う概念だととらえてみましょう。これは深い概念になります。そもそも「私」というのは「私の意識」のことであると言えます。そして私の意識の下には、フロイトが言うように、広大な無意識が海のように広がっています。

無意識は意識されませんが、実は意識を根本から規定しています。意識は無意識の表面に貼りついた薄ぺらな紙のようなもので、私の大部分は意識されない何ものかなのだと言うことができます。

確かなことは、その無意識はさまざまな傾向と性質を持っており、その作用によって私の意識が生まれ、五感を働かせているということです。早い話が、いろいろな生物の「本能」というものは、各生命に与えられたカルマでしょう。

1本の草木も1匹の虫けらも、本能というカルマに生き方を教えられて、それぞれの方法で進化しつつ生存し続けてきたのです。人間だって同じです。私たちの知情意も、過去が生み出してくれたものであり、現在の私はそのカルマに乗っかって、環境に適応しているだけのことです。DNAとはカルマがつくり出した情報の記憶装置だと言えます。

集団にもカルマが存在する

カルマ=過去の総体、であるとしたら、そもそも現在というものは「過去の端っこ」にすぎません。未来というのも、やはり「過去の端っこ」だと言えます。確かなものは過去だけ、つまりカルマだけが私の実体であるとも言い得るかもしれませんね。

普通に考えても、誰でも生まれて以来のさまざまな過去の体験によって、無意識世界で自己存在を彫り込まれて命を形成しています。特殊な幼児体験がトラウマになって人を無意識のうちに支配することが知られていますが、全ての経験がトラウマになって、人間ができ上がったのだとも考えられます。

ユングは「集団的無意識」について多くを語っています。個人のカルマというのみではなく、集団としてもカルマを持っているのが生命の実体だというとらえ方です。

人間は社会的動物ですから、社会の中で息をしています。その社会が時間の中でさまざまな経験を積み、進化・発展を遂げてきたのが「人類の歴史」です。各国には各国の独特の歴史があり、各民族がいろいろなカルマを背負って現代に至っているのだととらえることもできます。

薄い生き方と厚い生き方

積善の家に余慶あり、と言います。善行を積んできた家系には、必ず繁栄が訪れるという意味です。それも「家のカルマ」だと言えましょう。仏教は宗教ですから、「善因善果・悪因悪果」の教えをたっぷりと含ませながら「業」というものについて語ります。

神仏は善人の味方である、と、そう信じることは人類の希望であり、道徳的な要請でもあります。とは言えある父親は、子供からこう聞かれて返事に窮したそうです。「それなら馬券の大穴は、いつも善人に当たるはずだね」と。

しかし、カルマという思想は決して軽いものではないと思われます。もしもカルマ(過去・歴史)を否定したら、多分、確かなものは現在だけという刹那主義に近づき、気まぐれな自由と人間の薄さをもたらすことでしょう。薄い生き方と、厚い生き方とがあります。心の重みは厚い生き方からしか生まれません。

カルマを見詰めて生きる

「因縁・怨念・信仰・運命」などという言葉にも、カルマの一部が含まれています。カルマを根絶した所に「真の自由」があるとは思いますが、人間にとって「無制限な自由」という観念は、手の届かない所にある木の実のようなものです。「何々からの自由」と「何々への自由」という限定の中でこそ、自由の意義があるのです。

自分自身のカルマを見詰めましょう。それには、まず国家・民族のカルマに思いをいたし、日本人の風土・歴史がいかなるカルマと共にでき上がってきたのかを、検証していくことが極めて大切ではないでしょうか。

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