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サムライを生んだ江戸時代。意外といい時代だったのかもしれぬ

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2013.11.22

不器用なサムライ――男意地を張って損ばかりして、人は騙さず、自分も騙さない――そういう朴訥な成年男子が周囲から消えて行ったような気がします。ちょんまげと二本差しのお侍が生きていた「江戸時代」というものを、もう少し見直してみませんか。

権現様のころ

江戸というのは、当時では世界最大の、持続可能な循環都市であったって、知っていましたか?

明治のころのお年寄りは、「権現様のころの方が、ずっと暮らしやすかったよ」と言っていたそうです。東照大権現、すなわち徳川家康のことですから、明治維新の前もそんなに悪いことばかりではなかったのです。

ゼロ・エミッションの社会

明治維新は日本を変えました。でも100パーセントいいことばかりではなかったようです。かつての日本民族は、「自然の利子」の範囲内で営まれる産業の中で暮らしていました。

例えば、灰は肥料であり、「灰屋」という産業も成り立っていました。人糞も価値が高かったので、長屋の住民は大家に糞尿を提供すれば、家賃は「タダ」だったのです。今どきの言葉で言うと「ゼロ・エミッション(廃棄物なし)」の社会ですね。

一時は自然破壊もあった

江戸時代といっても、4代家綱までは列島改造で、山林を破壊しまくっていたそうです。五街道、港湾、航路開発で交通インフラを整備しましたし、治水、新田開発で野山はめちゃくちゃにされました。これを「尽山現象」と言います。熊沢蕃山は、このころ「天下の山林 十に八尽く」と憂えたと言います。

五代綱吉から質素倹約に

そのうちに、狭い日本の開発可能なフロンティアはたちまちにして尽きていきました。五代綱吉からは、行革路線になりまして、質素倹約、勤倹力行が金科玉条とされるようになりました。精農主義の農法へとシフトされたのもこのころです。それ以後日本の農地の生産性は世界一にまで上り詰めます。

必ずしも中央集権ばかりじゃなかった

活眼の士であれば皆知っていることですが、江戸時代は資源を保全し、ゼロ成長のモデル的社会であったと言われます。日本の当時の人口は3000万人と推定され、老子の「小国寡民」を彷彿とさせます。

もちろん全国的には300諸侯の支配する、地方分権型コミュニティーが息づいていました。隠密の支配する中央集権型社会であったと見るのは、忍者映画の観すぎか、単なる思い込みにすぎないと思いますよ。

地域社会も活発だった

儒教、心学、仏教、神道といった価値観は、エコロジカルな暮らしにぴたっと密着していました。志ある者は、今日のNPO活動に近い公共的な事業を進んで行ったようです。

地域社会は各種各様の「講・結・無尽・連」などで自主的に問題解決を図り、地域住民協働の態勢は万全でした。冷たいヒエラルキーとしか江戸時代を理解していない人は、著しく誤解しているのではないでしょうか。

日本人の魂の中に武士はいた

そうしたヒューマンネットワークの中心に、武士がいました。サムライは生産活動にこそ加わりませんでしたが、民族の人間的な精神の水準を保つひとつのコアとして、十分に機能していました。

人を騙さず、自分も騙さない。腐っても鯛であり、武士は食わねど高楊枝で、プライドを守るためにやせ我慢をし続けていました。そういう武士道に、庶民も共感を抱いていたと思われます。

サムライだって人間だ

そうは言っても、人間ですから食わねば死にます。エゴを丸ごと捨て去ることはできっこありません。実はあの「葉隠」の神髄は、「啓蒙された利己主義」であると言われています。

政治家だって教育者だって、医者だって弁護士だって、みんな自分が一番かわいいのです。江戸時代のサムライだってそうに決まっています。だからこそ、人間的なのです。

歴史から学ぼうとしないのは愚か者

明治になって武士道は否定されたかに見えます。ギャトリング砲で「撃て!撃て!」と屠殺されていった武士たちは、戦闘集団としての無力さを世間に晒してしまいました。

何もかも西欧化されて、自由で賑やかな社会になりました。それは歴史の発展ですから仕方ありません。でも歴史から何も学ぼうとしないことは愚か者の所業です。自国の歴史を恥じる国民では、未来に伸びていけません。江戸時代とサムライの生き方を、捨てないで生きていくことを提唱したいと思います。

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