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無事に帰国できたことが信じられない。トラブル続きの中国一人旅

今やアメリカも日本も貿易相手国の一位は世界の工場といわれる中国だ。民主化される前の中国。社会主義国としてソ連に次ぐ大国の中国。天安門事件の前の中国はどんな国だったか?二十五年前にリュックを背負って訪ねた中国の旅をトラブルを中心に手記としてまとめてみた。

二つの通貨の貨幣制度

当時の中国は外貨獲得のため、外国人用の兌換紙幣と中国人用の人民紙幣の二種類があった。入国し両替をすると兌換紙幣が手に入る。買い物やレストランでは兌換紙幣で支払い、人民紙幣で釣銭をもらった。

兌換紙幣でしか買えない物や外貨両替が可能な紙幣として現地の人には喜ばれた。兌換紙幣百元=人民紙幣百元と基本的に等価だったが、個人的な両替では、1.2倍のレートで交換してくれた。

所持金の1/3を紛失

三週間の予定で中国旅行をした。人が多過ぎる上に油断も加わり、中国最初の地、広州でバスを降りた時にポケットの財布を無くしてしまった。旅を始めて四日目の事だった。当時の中国では物価が安く、残り2/3の所持金で三週間の旅を乗り切る事は可能だが、余力は無い状態になった。

外国人は専用のホテルにしか泊まれない。行く先も限定されていた。使用できる紙幣は兌換紙幣だけだ。しかしホテル以外は人民紙幣を使用できる。兌換から人民への両替は1.2倍のレートで交換できた。移動費と食費を人民紙幣で支払った。最終的に二種類の貨幣の存在が、旅を乗り切る決め手となった。

人の多い中国

広州から貴陽まで列車で移動したが、何処へ行っても人が多かった。バスでの失敗を鑑み、所持金は分割し肌身離さないようにしていたが、列車内での中国人の習慣には驚いた。

30時間以上列車内で生活するが、車内で痰は吐く、茶を捨てる、ミカンの皮を捨てる、は当たり前だった。列車に乗って2時間もすれば、車内の通路はゴミと捨てた茶でゴミの浮いた水たまりになった。おまけに人が多いので満員電車だ。身動きが取れない車内で夜を明かさなければならなかった。

まだ民主化前の中国だ。若い人達はエネルギッシュだった。何処へ行っても質問攻めで人が集まってきた。日本経済の発展の歴史や現在の日本人の生活ぶりを質問してくる。漢字が理解できるので、漢文調で筆談をした。持参したノートを取り合い筆談してきた。旅のメモを書こうと持参した大学ノートは一週間で使い切ってしまった。

バケツに入った生肉と使いまわしの食器

旅行前の香港で仕入れた情報で多かったのが食事の情報だった。中国を回った人達から不衛生な食べ物は口にしない様に何度も注意された。

奥地に入り驚いた事は、バケツに入っている鶏の生肉と使いまわしの箸だった。生肉は一部羽が残っている。赤い調味料の中に浸していて、現地の人は生のまま食べていた。後々の旅程を思い、これには手を出せなかった。

レストランでは、テーブルの真ん中に箸があった。コップに水を入れ数本の箸が突っ込んであるのだが、異物らしきものが付着したり水に浮いていた。三週間、持参した『マイ箸』を愛用した。

レストランで驚いた事はもう一つある。必ず、店の片隅に浮浪者らしき人が数人いる事だ。彼等は客が料理を食べ残すと、すぐに席に着いて食べ残しを食べていた。共産主義が浸透し誰もが平等に生活をしている、と思っていただけにショックは大きかった。

欠航で帰国不能

三週間の旅程も最後の厦門から香港に移動すれば終わるという時に、香港行きの飛行機が欠航となった。レーダー飛行でなく視認飛行のため、霧が発生して飛べないと説明を受けた。今日は欠航し、明日以降、霧が晴れたら飛ぶという説明だった。

所持金が減り、最後に残った金で購入した香港行きの航空券だ。既に香港から日本までの航空券はディスカウント航空券を持っている。期日までに香港に行かないと帰国できない。事務所でクレームを英語と日本語で捲くし立てた。捲くし立てても、飛べない物は飛ばない。

幸い、日本の商社マンが同情し、彼に助けていただき無事に帰国できた。飛行機は当てにならないから船で一日遅れで香港に行った。彼の取引先の香港商社マンの自宅に泊まり、五日後に香港商社マンが手配してくれた航空券で帰国した。無事に日本に着いた時は、思いっきり泣いてしまった。

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