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「嫌な奴ほど出世する」のは果たして事実なのか、考えてみる

2014_2_28

「嫌な奴ほど出世する」という言葉があります。出世して、ある程度のお金と成功をつかんだ人に対するやっかみのようにも聞こえますが、実際のところはどうなのでしょうか。本当に正しい言葉なのでしょうか。もし嫌な奴になることで出世できるのであれば、あなたは「嫌な奴」になりたいと思いますか。

私は、かつて出世するか嫌な奴になるかという選択肢を、人生の天秤に掛けたことがあります。職場で言う嫌な奴ってどういうことか。
嫌な奴だったら、職場では信用されず、重要な仕事を任されることもなく、どだい出世なんてできないじゃないか。そんなふうに考えたのです。

けれども、違うんですね。嫌な奴という言葉には、やはり半分程度のやっかみが含まれているように思います。出世する人って、要するに自分にとって利益になること、あるいは利益になる可能性があることにしか手を出さないんです。
利益がないと判断すれば、他人に手を貸してくれとせがまれたところで断る。だから冷たい奴だとみなされて、職場の嫌われ者になるという流れ。

要領が良い人の行動をはたから見ていると、どうしても「あの人は周囲に合わせず、いつも非協力的で冷たい」というふうに見えてしまうのは何となく切ないですが、でも、こういう「我が道をいく」タイプの人間は、たとえ自分が仕事のために周囲の不興を買ったとしても、そのイメージを払しょくする必要がない(払拭してもしなくても、仕事の進捗には関係しない)と考えたら、自分に張り付けられたマイナスイメージのレッテルを、あえてはがそうとしないのです。そんなことをするだけ時間の無駄だと考えるのでしょう。

仕事のため、利益を得るための徹底的な合理主義。プラスアルファで、職場で出世する嫌な奴というのは、他人を蹴落として自分だけがサクセスストーリーの階段を駆け上がっていくとか、そういうイメージがあります。このタイプの人間が、今の時代に出世を望むことは正直難しいと思うのですが、それでも、やっぱり稀にはいそうですよね。

例えば、部下が考えたビジネスプランを、さも自分が考えたものであるかのように報告する人とか、あるいは、自分が仕事の最後で良いとこ取りをするために、面倒な雑用はほとんど部下にやらせてしまう人とか。

もし、そういう人が簡単に出世出来てしまえる職場があるとすれば、それは環境のせいとしか言いようがないですね。一時的には腹が立つ問題ですが、そう言う人はきっといつか痛い目に遭うので、過剰に意識するだけ損です。無視しましょう。

出世する嫌な奴を表す言葉には、どうしてもやっかみがニュアンスに含まれると書きました。私はこちらを考えることが重要だと思うのですね。あくまで個人的な印象ですが、出世をする嫌な奴というのは、八方美人的な側面があるので、自分の都合に合わせて味方を選びます。

会社内にたいていはある個人同士の対立の構図とか、そういう問題はもうお構いなし。仲の悪い者同士を同時に呼んで、仕事の協力を頼んだりするから、どうしても職場の空気が悪くなってしまう。

ここで、敏感な人なら職場の人間関係をきちんと把握しているので、仕事を頼んだ後からきっちりフォローを入れます。それができない「嫌な奴」というのは、ひょっとしたら少し不器用な人種なのかもしれません。

私は、他人といがみ合う心理がまったく理解できない人間なので、どこの会社にも必ずと言っていいほど存在する対立の構図にうんざりします。いい年した大人が、どうして他人と揉めるのか、そんなふうに呆れてしまうわけです。

でも、どうしても不思議なくらいにそりが合わない人はいます。性格的な問題でしょうかね。お互いにとりわけ欠点があるわけでなくても、仲が悪いということもあります。そして、その中の悪い相手が職場で出世したりすると、取り残された側は面白くないわけです。やっぱり「嫌な奴ほど出世する」という言葉には、やっかみが含まれているのかもしれません。

でも、仕事ができるなら良いじゃないですか。きちんとお金がもらえるわけです。お金がもらえないことと、職場の人間関係を維持できないことと、どちらが問題なのかと考えた時、私にはどうしてもお金の選択が優先されるべきだと思うので、上司の評価をつかむためであるなら、多少は嫌な奴になってみてもいいのかな、というのが結論です。

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