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サラリーマンはタコだと知り、そこから理想へとジャンプすることの意味

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2013.09.01

毎朝毎晩、通勤電車に揉まれている勤め人の群。無数の顔と顔に埋もれ、流されて、いつしか自分の名前も忘れてしまいそうです。サラリーマンの誇りと気概はともすると群衆の中にかき消され、ただ淀みに浮かぶうたかたと化して、いずれ儚く消えていくものなのでしょうか。

そんなことはありません。サラリーマンの悲哀と歓喜の中から、脱皮していく可能性を探りましょう。

大空を舞う凧であれ

自嘲を込めて言えば、サラリーマンはタコのようなものです。もっとも、海の底を這っている不細工な顔つきのアレのことではありません。私の言うのは、大空を高々と舞っている「凧」です。

自由を縛るものに気づく

悠々と空を飛ぶ姿は、一見、いかにも自由な感じがします。世間の人々が見上げています。もっと高く、もっと高くと伸び上がれば、富士山にだって手が届きそうです。

でも、よく目を凝らして見ていると、どいつもこいつも妙な糸がついていて、その糸に首根っこを括られています。どうやらその糸にあやつられて、飛ばされているようです。

地べたに転落するしかない

そう、その糸は「会社」という名の抵抗しがたい鎖です。その糸があるからこそ、凧は高く高く舞い上がることができるのです。決して自分だけの力で飛び立っているのではありません。もし会社がなくなり、糸がプツンと切れたらどうなりますか。吹っ飛んで行って、クルクル回りながら地べたに墜落していくしかありませんね。

さまざまな風に耐えて生きる

サラリーマンは、常に世間の風に顔を吹かれています。強い風も来ます。冷たい風もよく吹きます。意地悪な風、むちゃくちゃな風、耐え難い風、どんな風が襲いかかってきても、サラリーマンは体をボロボロにして、腕を思い切り広げ、じっと耐えて浮かんでいます。

会社という足かせ

会社のお蔭で大空を飛んでいられる――それは事実です。でも、会社というものがそこにある限り、それ以上高くは舞い上がれません。糸は桎梏(しっこく)でもあります。

鳥のように心のままに、好きなところを目指して羽ばたいていくことは、勤め人には禁物です。もし会社との糸を切ってしまったら、自前のエンジンを持たない凧ですから、ただの紙切れになってしまうのです。

自分を育てていく時間

その一方で、凧は広い視界を自由に楽しんでいます。海だって見えるし、世界遺産の山だって手に取るようです。風の中で声を張り上げて、思い切り歌うことだってできます。

限られた空の一角ではあるけれど、その中では自由ですし、自分の魂を育てる時間を持つことも可能です。糸は切れずとも、見たもの聞いたものを使って、自分で自分を大切に育てることはできます。

凧から鳥になる日もあるかも

サラリーマンも、凧は凧なりの個性と自負は持つべきです。組織内で上昇していくための努力を怠ってはだめですし、場合によっては独立転進することも可能です。

巨木に寄りかかるだけが安全なのではありません。自己を信じて鳥になって飛んだっていいはずです。それをするとしたら、いつでしょうか。あなたの一番若い時は、今でしょう!その日、あなたは凧であることを振り切って、鳥になったのです。

まるでふるさとのない凧

鳥として飛び立つことを諦めるのなら、次のような凧の行く末を思ってください。暑い日も寒い日もひたすらに浮かび、スズメにつつかれカラスにド突かれ、薄い身を震わせて、時には奴さんの顔で威張り散らし、時にはマンタの顔で飄々と夕焼けを飛び、不運な者は電線に絡まって無残に首を吊ってお陀仏になります。

年老いれば子供に捨てられ忘れ去られます。サラリーマンはまるでふるさとのない凧です。

凧と鳥を心で育てる意味

鳥が必ずしも有利だとは申せません。ただ全てのサラリーマンの魂の中には、凧と鳥が住んでいてほしいと思います。凧だけで満足と言える人は、幸せなのかもしれません。

でも一度は鳥になって大空を駆け巡る夢も、忘れないでほしいと思うのです。鳥の精神を忘れない凧でいたいということです。そうした夢を育てていることが、逆に立派なサラリーマンをつくるものだと言えるのではないでしょうか。

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