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重い仕事のストレスとの賢い付き合い方を考える魔法とは何なのか?

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2014.02.09

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仕事を続けていくうえで、誰にとってもストレスを完全に避けて通ることはできません。もちろん、ストレスに苦しめられるのは仕事上の問題だけではありません。プライベートの領域にもストレスは溢れていると思います。

基本的に、世の中からストレスというものが消えてなくなることは考えられないのです。

これを前提としてまず考えられるのは、自分なりのストレス解消法を身につけること。
どのようにしてストレスを解消するかは完全に個人の自由なので、ここでどうのこうのは言いません。ただ、この際ですから、どうやってストレスを解消するかということを考えるだけではなく、どうやってたまったストレスと向き合うかについても見ていきましょう。きっと有意義な情報になるはずです。

ストレスというものは、消し去るだけでなく、あるがままに向きあうことも大事。でも、ストレスと向き合うっていったいどういうことでしょう。ストレスのことを真剣に考えるということでしょうか。でも、毎日ストレスのことばかり考えていたら、それこそストレスがたまって心がまいってしまいそうです。

ストレスとの向き合い方。それは、ストレスに対する捉え方を根本から変える思考法に他なりません。自分がどれほど深刻なストレスだと思い込んでいる事柄であっても、見方を変えればストレスにはならないということが、生活の中ではしばしば考えられます。

例えば、睡眠時間を削るというのは、その点だけを見れば大変な苦労を強いられることで、多くの人にとってはストレスの源となるものでしょう。けれども、睡眠時間を削るという行動の背景には、なにかしらその人なりに深い事情がある場合だってあるわけです。読書にのめり込んで睡眠時間を削るというのはありがちな話です。読書家にとって、睡眠時間を削ることは別段ストレスの元とはなりえません。

また別の例を挙げれば、例えばプロ野球選手になることを夢見て、まずは独立リーグに所属している人がいます。基本的に独立リーグの運営状況はNPBほど安定していないので、まずは一社会人として、練習に充てられた時間以外は、例えば運送会社で働いたり、食品メーカーに勤務したりという形で、ごく普通のサラリーマンとして働くことが求められます。そのうえ、受け取る給料は決して高いものとはいえないのです。

多くの人は、こういう境遇を不憫に思うでしょう。もっと他に割の良い仕事があるのに、と思うでしょう。実際に私も、身近にこのような道を歩んでいる人がいたら、そのように思うかもしれません。

けれども、独立リーグで野球ができることに喜びを感じる人たちは、そのために支払うべき犠牲について「苦労である」とか「ストレスである」とは考えないのです。むしろ、肉体労働を課されることで体を鍛えながらお給料が受け取れるので一石二鳥だと言います。ストレスというものが、個人の受け止め方によっていかに形を変えるものであるかという例です。

また、もう一つの例えとして次のようなエピソードもあります。

実際にあなたが働いている職場の環境に当てはめて考えてください。あなたの職場に「ものすごく嫌な上司」がいるとして。会社の面々とその上司とが飲み会に同席した、というシチュエーション。これは考えただけでも恐ろしい。

皆が「あの上司とはかかわり合いになりたくない」と逃げ腰になっているので、酒の席であるにもかかわらず全く盛り上がりませんし、ビジネスパーソンにとって有用な情報交換も全く行われません。ひと言で言うなら悲惨な状況です。

そんな中、割と気の小さい一人の社員が、酒に酔った上司に絡まれ始めます。被害者はあからさまに嫌がっているのですが、空気の読めない上司はそのことに気がつきません。そしてとうとう、あなたの我慢の限界が来て、上司に対して文句を言ってしまったとしましょう。

部下から反逆された上司は、当然のように激こうします。完全に自分が悪いにもかかわらずです。結局、飲み会の収拾がつかなくなって、一緒に来ていた面々は、一人また一人、そそくさと店を出て行ってしまいます。あなたは真っ青になりました。

上司を怒らせてしまったことで場を白けさせ、職場での仲間や信頼を失った。もう終わりだ。あなたはそう考えたのです。ストレスのあまり、その日は眠れませんでした。

次の日、憂鬱な気分で会社に出向いたあなた。きっと皆から相手にしてもらえないだろう。そう思っていたところ、同僚や部下、先輩から相次いで聞かされたのは、感謝の言葉でした。「ありがとう。あなたが昨日、あの嫌な上司には向かってくれたおかげで、自分たちもすっかり胸のつかえがとれた」そう口々に言われたのです。

この例が適切なものであるかどうかは分かりませんが、要するに、ある個人が「ストレスの源」であるとふさぎこんでいた出来事が、案外心を悩ませるほどの問題ではないということが、しばしば考えられるわけです。

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